2024年1本目の視聴
やっぱりアメリカの大地は雄大だ
大きさが違う
風景にまず圧倒されっぱなしだった
だけど、心が満たされるかといえば
人間はただのか細い一本の葦でしかないのだと突きつけられているような気持ちになってしまう
絶望なのか、希望なのか
主人公のファーンの心が読めないのが、雄大な自然を前にして不安な気持ちも同時に積み重なっていく
若いときの好奇心に駆られた胸躍るような貧乏旅ではなく、
必要に迫られた手段としての移動生活
息苦しさと緊張感が隣り合わせの放浪が淡々と描写されていくが、
ルドヴィコ・エイドナウディらの音楽が開放感と心の安らぎを与えてくれる
サントラ買いたい
地図を見ながらだと、いかにファーンがアメリカ西部を移動しているのか分かります
アメリカはニューヨークしか行ったことがないので、今回は地名が出てくる度に画面を止めて地図を調べながら見ました
(これは映画館ではできない自宅ならではの鑑賞方法ですね)
ネバダ
アイダホ
アリゾナ
サウスダコタ
アイダホ
亡き夫との思い出がある地図上の一点にファーンの思いは捕らわれているのに、
当てもなくファーンがアメリカ西部を大移動しているのが分かります
=
皆、悲しみや喪失感を抱えている
それでいいんだ
この言葉でこの映画が少しだけ理解できた気がする
喪失感は埋まらない、
喪失したままでも
前に進んでいくこと
一人ではあっても、決して孤独ではない